あなたのようなお子さんは普通は支援学校です

『あなたのようなお子さんは普通は支援学校です。』
このようなセンテンスを誰かにダイレクトに言われずとも
このようなセンテンスの空気をかもしだされたり
このようなセンテンス通り誘導されたり
このようなセンテンスに傷つき弱ってくる保護者と共に私は生きてる。

人の生き様に統計学は通用するはずがないと私は思ってる。
『あなたのような人』という、あなたは他を探してもどこにも見当たらない。
という事は統計が取れない。としたなら『あなたのような人』は
まだ見ぬ新しい道を開拓してゆかなければいけないしその道は
誰にも決められない。そうすると、『普通は支援学校です』の
普通とはいかに?その言葉を発する人は一体どれほどの
同じ人間を見てきてどれほどの同じパターンの発達を見てきて
どれほどの統計学をお持ちなのかと考える。

私は生き様が同じ人と会ったことがない。
子育てにかかわる仕事をしているけど
同じ生き様の子どもと会ったことがない。
いつもいつもジッと子どもをみて
その子の発達したがっている芽を探している。

人は負荷をかけて発達成長してゆくんだと信じてる。
嫌なことはしなくてもいいとか
好きな事だけすればいいとか
私はそれとは違う思いがある。
かといって
軍隊のような負荷とかも違っていて…
活字にするには誤解も招くしちょっと難しい。
『枠を超えて』とか言う抽象的な言葉は
人によってさまざまな理解があるから
使いづらいのも正直ある。

物足りない・空虚感・子供だまし・退屈感のある負荷をかけ続けて
も子たちは達成感は感じない。自分の今の限界に挑戦して初めて
何かを感じて刺激を受ける。それが人生を作ってゆくと私は思う。

日の光を浴びて大きく成長させる時と日陰で体力を復活させる時。
負荷をかけて成長するんだ!と言う私はそのタイミングや
かける負荷の大きさを考え悩み決断するのにウンウンうなりながら
過ごしている。出たばかりの赤ちゃんの芽や植え替えしたての苗
弱ってきた苗はガンガンの日向ではなくて少し日陰へ移動させる
持ちこたえられると判断すれば日向へ持って行き
お日様の十分な栄養を受けてどんどん成長させる。
与えていただけるものを十分に吸収できる状態かどうかという事。
この見極めはとても難しい。お花屋さんと一緒にしては叱られるけど
焦って早く出しすぎてまたまた弱らせたりする事もある…

お日様の十分な栄養を受けてどんどん成長させる。
その時期だと判断しているのにビニールハウスから出さないのは
なぜだろう?ビニールハウスでは刺激を受けられない。
いま。育つべき時なのに。
そう思う事がある。

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