ルールは守る為にあるんじゃない
【ルールは守る為にあるんじゃない】って事。
私たちが知っているルールは
あくまでも目安でしかないと思っています。
なぜなら
集団社会でみんなが平和的に幸せに暮らす為にルールはあるのだと信じているけど(奴隷制度とか軍国主義とか考えると恐ろしいけど)
たった1つのルールがいつでもどこでも誰にでも使える万能ルールである事は無理がある。
いろんな状況があるし
いろんな環境があるし
いろんな人がいるから。
しかしながら
全員一致の目安がある事はありがたい事だと思っていて
なぜなら、その目安から考え始めることができるから
それは本当に守るべきルールなのか?
それは本当に守る事で幸せになるのか?
私が子達と一緒に考えていきたい事は
ルールは守る為にあるんじゃない
その時のその場所のその人の一番良い方法を考える目安の為にある。
最善を考える人でありたいし
子達と共に最善を考える事を教育だと考えています。
と言うわけで躾は大切だぁ
約束は守りましょう。と小さい頃に教えられます。
この小さい頃に習う躾のようなものはとても大切だと思います。
なぜなら
はじめに書いたように
それがまずは集団社会での生きていく目安になるからです。
目安を知らなかったら考えることすら出来ないから。
最善も人によって違うから難しいけど
自衛隊の給水支援の出来事や
ホームレス拒否の出来事
カレー廃止の出来事を知ると
考えもしないでルールだから守ったのか
それが幸せの為の最善だと考えたのか
どうだったんだろう?と思う
最善も人によって違うわけだから難しいけど・・・
最善を考える人
子達と話をする時に
少し乱暴な言葉を使います。
例えば
「ルールは守る為にあるんじゃない!」とか
乱暴な言葉を使う理由は
極論で意識をはっきり私に向けたいからです。
子達は私の乱暴な言葉を聞いてすぐに反応します。
「先生何言ってんの!いっつもいっつも。。。
また、わけわからん事言い出したで。
約束は守らなあかんねんで!」と必ず
私に真剣に向き合ってくれます。
本当に伝えたい事は
【最善を考える人に一緒になりませんか?】なんだけど